speech

 2006年4月5日 多摩美術大学入学式 教授代表あいさつ 於TAUホール

 

 芸術学科で教えています、平出、と申します。

 「教授を代表」して、ということですが、美術大学の教授という人々には、変った方が多くいらして、とてもとても、「代表」なんてできるかどうか、自信がありません。いえ、変った人が多い、というより、変った人しかいないと、いったほうがいいでしょう。

 とはいえ、すべての多摩美のスタッフと等しく、みなさんにも、ご家族の方々にも、心よりのお祝いを申しあげます。私自身には、これが16回目の多摩美での入学式ですが、私の場合、今年の入学式にはとくに、大変に深い思いがあります。そこで、無理に「教授を代表」せず、そんな私ひとりの思いを率直に述べて、お祝いの言葉といたしたいと思います。

 と申しますのは、私は昨年来一年間、私の所属する多摩美の芸術学科を根本から新しく変えるという仕事を、打ち込んでやってまいりました。そうして、カリキュラムや新しい教員の陣容を、寝ても覚めても考えているとき、ああ、「大昔から夢見られてきた学校」というものがあるなあ、とふと思っていました。そうしますと、野外で対話したギリシアの哲学者のことや、初めて図像で教育したといわれる17世紀のコメニウスや、ペスタロッチやルソーのことや、ゲーテのことや、ノヴァーリスのことや、シュタイナーのことや日本の幕末の私塾のことや、バウハウスのことや、宮沢賢治のことや、いろんな人々の姿が浮んできました。

 昔から人間は、まだ見ぬ学校のことを考え、改革に取り組み、また、手ひどい挫折も経験してきたわけです。

 私は改革にあたり、長年の親友で、かつて一緒に、実現のむずかしい、遠大な雑誌の計画を企てたことのある人に相談しました。一緒に、思うような教室を、思うような学科を、思うような研究所を、こしらえてみないか。そう誘ったわけです。彼と私は同じ年で、その学年は高校を卒業するまさにその年、大きな時代の波にぶつかりました。文部省が、東京大学と東京教育大学の入試を中止にした年でした。子供でもだれでも、教育制度ということを、根本から考えざるを得ない時代でした。その同い年の友人というのが、新任の教授のお一人の、この席の中でも、とびきり変ってる人、中沢新一さんです。

 教育、研究というものに、そして大学というものにかかわりながら傷を負うほかはなかった、そういう人々は大変多いのではないでしょうか。大昔から。おそらく時代が変り、世代が違っても、人間はそれぞれのしかたで、教育とぶつかりあうほかはないのです。ここにいらっしゃる先生方も、みなさんそうではないでしょうか。だからこそ、日々、多摩美術大学をよくすることに、こんなにも忙しく取り組んでいらっしゃるのではないでしょうか。

 わずか一年間、改革に手を染めただけで恐縮ですが、私に分ったことは、多摩美術大学は、他の大学よりずっと、大昔から人間が抱いてきた「夢の大学」を実現できる可能性の、ずっと高い場所かもしれない。そんなことでした。私たち教員は、ヴィジョンを広げつつあります。大昔から夢見られてきた大学を、少しでも実現できるかもしれない。そう思うことが出来るのは、芸術を中心としてゆるがず、しかも生き生きと現代を見つめる気風を持ったこの大学の素晴らしさを自負するからです。

 大きな声ではいえませんが、事務系の職員にも、お偉い方々にも、変った人が多いんですねえ。が、その方々も、率直に「あるべき美術大学」の夢を語り、夢に向って突進しています。

 なぜこんなことが可能なのでしょうか。それはやはり、「芸術」の力によるのではないか、と私は考えます。

 たまたま、この三月の末、京都大学でひらかれたフォーラムに参加してまいりました。そこでは、明治以降の学校制度の再検討から海外の先進的な大学のあり方、そして、現代の成功した大学改革の例などが報告されていました。

 じっと聞いていて、「ローカリティ」ということばをつかう意見が耳に残りました。いろんな大学の成功した事例がいま紹介されているけれども、それぞれの大学は、専攻や環境や、地理的・歴史的な特殊性をもっている、個別性を持っている。それを意識しなおすことでしか、つまり、そのローカリティに即してしか、改革など可能ではないのですよ、という、じつにまっとうな意見でした。

 私はこれを聞いたとき、多摩美術大学にとってのローカリティとはなんだろう、と思いましたが、それは一般の大学と一線を画して、明確なものだと、すぐに思いました。芸術ということ、なにもないようなところからなにかを創り出すということ、その行為にすべての根源を見つけ、価値を見出している人々が集っている、まさにそのことではないか、と思い至ったのでした。

 世の中というものは、芸術を崇めることもありますが、利用することもあります。芸術を馬鹿にすることもあります。まったく無視するか、気づきさえしないこともあります。

 しかし、ここにいる私たちは、先生方も事務職員の方々も、そしてみなさんも、芸術というものが、なにかしら源から湧き起ってくるものだと、知っているでしょう。美というものがひとつの形ではなく、いろんな姿や肌合いをしているということを、知っているでしょう。これは素晴らしいことです。

 このような美術大学の環境は、「ああ、美大ね」、というような、世の中の目で見れば、隅っこのもの、ローカリティです。しかしいま、この21世紀初頭という時代は、中心的なものが疑われ、一般的なものが失われ、崩れ去っていく時代にあります。だからこそ、芸術という、この人類の源に、泉に、みながみな、それぞれのしかたで寄り添って勉強している美術大学という場所のローカリティは、力強いんです。一律な価値観しか強制しようとしない社会や世界のしくみに対して、あえていえば、逆襲できるところにまで、来ていると思います。つまり、世界を変えられる位置にまで、来ていると思います。

 この三月の京都大学のフォーラムで語られていた他大学におけるよい改革の例を拝見しながら、じつは私は、どう見ても、多摩美術大学が私たちにやらせてくれているさまざまな改革のほうがずっと魅力的だよ、と内心でつぶやいていたものでした。 多摩美の一連の改革が生み出しつつあるもののひとつとして、「芸術人類学研究所」というものがありますので、ごらんください。この4月から開設され、そこの、メディアセンターの4階にあります。変った部屋です。部屋も変っている。赤い部屋なんですね。これから次々と、キャンパスのあちこちでそういうものを見て、みなさんはやはり、美大は変ってるなあと思うでしょうか。それとも、大したことはない、もっと変えてやれ、と思うでしょうか。私はそんな皆さんの反応を見ることを、とても楽しみにしています。

 ということで、教授陣は変った人ばかりですが、さあ、やはりなかなか大変な方々です。ですから、知識や技術ばかりではなく、人に、そして作品に、学んでください。私も、ちょっと変っているかもしれませんが、いつも質問を待っています。みなさんもきっと変っていて、変った質問をするんでしょうね。変っているのは当然です。芸術はほんらい、私たちを豊かに「変えて」くれるものですから。

 芸術の、自分を変えてくれそうな力、みなさんがめざめたその力、それは世界を変える力でもあるでしょう。そのことを、みなさんは若いのに、直観によって、まっすぐに感じ取った。困難を乗り越えて、その力のすぐ近くの場所を、選び取った。反対もあったかもしれません。ためらいもあったかもしれませんね。しかし、ここを選び、ここに選ばれ、今日という日を迎えたわけです。私は、みなさんの、その果敢な決断と、秘かに蓄えてきた能力と、持続への意思に、そして柔らかな心に感嘆します。

みなさんの勇気と能力のお陰で、あたらしい多摩美術大学が生れ、そうして、私たちはきょうここに、ほんとうに向き合うことが出来ました。いよいよはじまります。わくわくしているのは、あなたたちばかりではありません。

 学生も先生も、ちょっと変った私たちが、世界を変えるのです。豊かなものに変えていくのです。 感受性と、勇気と、新しい場所を持ったみなさん、本当におめでとうございます。あしたからではありません。きょうから、もう始まっています。

 教授を「代表して」、お祝いを、申しあげます。