版元: 岩波書店
装幀: 菊地信義
本文組版: 平出隆
定価: 3400円(税別)
ISBN: 978-4-00-025402-1
A5変形判 上製本カヴァー装 9ポ1段組 320頁
目次 I = 名刺の箱の中で II = 一方通行路から III = 一冊きり 一通きり IV = 《THE ONE & ONLY MAIL ON》V = 国境と締切 VI = 《I GOT UP》 VII = 子規にとっての哲学と流転 VIII = 地図の上の朱線 IX = 飛び移る筆先 X = ガラス・蚊帳・格子 XI = 小園の図など XII = ガラスの小さな板 XIII = 少年デザイナー子規 XIV = カリキュラムの渾沌 XV = 過渡期にあらわれる古代 XVI = 海辺の小屋 XVII = トポフィリ XVIII = 抹香町にて XIX = 先生の歩行 XX = 荷風ヴァーサス長太郎 XXI = 天使の関節 XXII = わが旦過――偽のパサージュ XXIII = プシュケーの羽 XXIV = 日は階段なり――《遊歩の階段》の設計公式つき XXV = 日記的瞬間 XXVI = 古代・種子・散文 XXVII = 手のひらの迷宮 XXVIII = 清らかな予言の織物 引用参考文献 あとがき
帯文(背):
言語・形象・時間
帯文(表):
随想による詩的メタフィジックス
詩学以前の渾沌状態に、危うくも明晰な形象的思考を与えた、東西の詩人・作家・思想家たち。知られざる道を彼らのあいだに見出しながら、「領域」の神話を破り進む《遊歩》のストローク、めざましい言語芸術論。――《遊歩の階段》の設計公式つき
帯文(裏):
ベンヤミンを杖に、プリニウス、リヒテンベルク、正岡子規、河原温、川崎長太郎、吉行淳之介、永井荷風、澁澤龍彦、ポー、ボードレール、ヘッセル、ストーン、カフカ、カミュ、ゲーテ、森鷗外、高浜虚子、上島鬼貫、石川淳、玉城徹、ノヴァーリス、ヨッホマン、カラヴァン、シャールをめぐって、詩的身辺哲学は生成される。
《断章から断章へと追っていくうちに、足元には、いつしか透明な星座が浮き上がっている。俳句、日記、絵、覚書など、彼らに共通の記録へのかたむきは、表現形式としては様々だが、その混沌こそ、極小の点のなかに沸騰する「表現の古代」の様相だという著者の見方にも、深く頷かされる。読後、いずれ何度も読み返すことになる本だと、確信した。》林道郎「明滅する生の破線」(読売新聞2007.10.28)
《遊歩の自在さを、グラフィスムという「一定の書法」、あるいは一定の規矩を示す外来語と結ぶことによって、著者はむしろ、重くのしかかる「私」を自在に遊ばせつつ消していき、ついには「個人を半ば超えた感受性のフィールド」のなかで生起するなにかに目を凝らそうとしているらしい。》堀江敏幸「自在な歩みとともに生起することども」(毎日新聞2007)
《いくつもの断章や断片が繰り出す力強いストロークから成る本書は、一冊の本であることを忘れるような地平をひろげる。ある章のある記述が、別の章の思い掛けない箇所に、躓くほどの段差もなく直結していく。それは「行」という存在を疑い、lineについて思いを巡らせる著者だからこその一冊の書物のあり方なのだ。文字と形象のパサージュはいつも次のパサージュに向けて開かれている。》蜂飼耳「言葉と形象の重なりを歩く」(文學界2007.12)
《ライブラリで平出隆の「遊歩のグラフィスム)」(岩波書店)を発見して読み出したらとまらなくなった。目下、4冊の本を同時に進行させているので、時間はいくらあっても足りない。それで拾い読みに変更したが、ベンヤミンやら、子規やら、河原温やら、荷風やら、渋澤やら碧梧桐やら、面白いことが沢山書いてある。》 chotoku.cocolog
《要約することが難しいエッセイだ。地図の話でもあり、都市空間の話でもあり、「詩的」なものを問い直す美学的なお話でもあり、身体を伴った歩行や交通の話でもあり、もちろん登場する表現者たちの作家の相貌を鮮やかに切り取る作家論、でもあり、詩人でもある初老の筆者が、自分自身の生きたこと、生きていることを問い直す、そんな哲学エッセイでもある。むしろ要約するなんて勿体ない。じっくりと一つ一つの話を味わいたい、そんな種類の本である。》 blog.foxydog
《ベンヤミンをきちんと読み始めたのは去年のことからだ。平出隆の『遊歩のグラフィスム』という絶品エッセイの冒頭近くに触れられていたベンヤミンについての箇所を読んで、比喩でなくベンヤミンを読む、というスタンスが気になった(気に入った)からだ。『遊歩の〜』についてはすでに一度ここで触れているので繰り返さないが、読書はそんな風にして広がっていくのだとつくづく思う。読めば読むほど広がっていくダンジョンのようなものだ。》 blog.foxydog
《この本に多く引用された正岡子規の『墨汁一滴』を読み直すと、平出さんが感じる「機械的な、またはグラフィックな快感」、それを、『遊歩のグラフィスム』で追体験して得るこちらの快感と同じような快感が改めて残る。》 四釜裕子
《平出さんはいまの日本で最も端正なコトバを操る詩人の一人ですが、この本は俳人・歌人の正岡子規、美術家の河原温、小説家の川崎長太郎、ドイツの文芸批評家・思想家のベンヤミンといった東西のジャンルの異なる文章や視覚的な表現を、「遊歩」していく本です。》 fiatmodes